自分を守れるのは自分だけ?残酷な現実を直視せよ!
あなたは、自分を守れるのは自分だけと心から分かっていますか?例え、身内であっても親友であろうとも、いざと言う時は頼りになりません。私達に突き付けられた残酷な現実なのです。しっかりと直視して、自分自身を自分で受け止めて上げて下さい。
私のPCの向こうにいるあなたへ 自分を守れていますか? ネオコンサルの橘佑稀です。
東日本大震災時の体験から。
私は、あの311の東日本大震災の時に東京にいました。
小さな地震はしょっちゅうなので又かと思っていましたが、まさかの大地震だったので、さすがに腰が抜ける程、驚きました。
向かいのビルの窓ガラスが、まるで、ゴムで出来ているように膨らんだりしぼんだりしているのです。
高層マンションは飴細工のように、くにゃくにゃして大揺れでした。
さすがに大地震は怖いと痛感しましたよ。
テレビでは、福島原発の様子や東北の津波の映像を見ながら、恐怖を呼び起こすアラートの悲鳴にも似た音に怯えていました。
果てしなく続く、余震の中で生きた心地がしませんでした。
何とか終息するまで持ちこたえなければ!
当時、飼っていた愛犬が私から離れないのです。
揺れる度に私の膝に乗ってブルブルと震えるのでした。
その都度、犬を抱きかかえては、キッチンのテーブルの下へと移動しました。
17キロもありましたので、なんせ重かったのです。
夜となく昼となく繰り返される余震の揺れとテレビから流れる警報、そして携帯のアラートが恐怖を増幅させます。
勿論、電話は混雑の為に掛ける事も掛かって来る事もありません。
夜なのか昼になったのかさえ分からない程でした。
少し、外の様子を知りたかったので大揺れが収まったのを見計らって、マンションの階下のホールに階段でテクテクと降りて行きました。
住人達は大パニック状態!!!
子供から大人、そして高齢者まで住人達が大騒ぎをしていました。
同じ階の奥様は、何故かアルミホイルの箱を何十本と両手に抱えて呆然と立ち尽くしていました。
「そんなにホイルばかり買ってどうするのですか?」「だって、ドラッグストアにこれしか残っていなかったので、買って来たんです。何かで使えるのではないかと思いまして」
「ええっ!そんなに物がないのですか。」
私は咄嗟に自分の部屋に戻り、犬を連れて近くのコンビニに行きました。
しかし、どこのお店の棚もさらった様に何一つとして残っているものがない有様でした。
たった、一つだけ隅っこの方に干からびたバームクーヘンが残っていたのを買いましたが。
あまりにも不味くて、犬にあげても知らん振りのバームクェヘンでした。(笑)
私も相当にパニクってたのでしょうね。
表通りはゾンビで溢れ返り、私は食糧難民???
表の大通りをサラリーマンやOL達がゾンビの様にうな垂れて、口も聞かずに歩いている姿に驚愕しました。
その行列は途絶える様子もないどころか、人数が増すばかりでした。
私は、よりによって、いつもだったらお米を切らせた事がなかったのに、その時に限って後、僅かしか米櫃に残ってなかったので、その事も不安の種でした。
何とか間に合わせに冷蔵庫にあるものやインスタント食品で済ませました。
相変変わらず揺れは収まってはいないのですが、何日か過ぎて、遠く離れた私の故郷にいる叔母に電話をしました。
両親は他界しましたが、私の実家です。
父が建てたアパートに毛が生えたマンションとまで行かないけど、そこに何十年と住んでいる母の妹の叔母は、私と年齢がさほど、離れてなかったので小さい頃に良く遊んでくれました。
非常事態に人間性が出て来る!!!
叔母は、地震の事はテレビで見ていたらしく、説明する手間は省けたものの・・・。
「宅急便で5キロでも良いのでお米を送って欲しいから、お願い出来ますか。」「お米?」
「後、少ししかないのです。どこのスーパーもコンビニも食べるものも、何も売ってないのです」
「さぁ、私は宅急便を使った事がないから、お米屋さんも知らないし。」「はす向かいにありますよ。」
「お米の買い方が分からないし、送り方も知らないので」
「そこのお米屋さんでお願いすれば、買う事も送る事もお店の人がやってくれますよ」
「うーん、でも」「お金は払いますよ。」
「誰かに頼んで、私は忙しいから」電話をガチャンと切られました。
食い物の恨みは一生残る???
時々、帰郷する折りには必ず一緒に食事をして親しくしていた叔母が、目と鼻の先にある、米屋の場所を知らない訳がない、呆けてないなら。
私は何か気に障る事でも言ったのかなと自分を責めました。
それとも、亡くなった両親が冷たくしたのかなと不可解でしたが、身内の恥になるので誰にも言えなかったのです。
本当の身内ですよ。
情けなくなって、一晩中泣きはらしました。
東京での生活が長かったので、他の身内に頼む気力もなくなり、自分で何とかしようと思っても関東圏の人達は、みんなが困っているので愚痴も言い出せませんが。
「所詮は、叔母に取っては他人事だったのです。」それ以来、音信不通となっています。
捨てる神あれば拾う神あり!!!
そうこうしている時に突然に携帯が鳴って、私の高校時代の友人から電話がありました。
「大丈夫?怪我してない?困った事はないの?私はボランティアをしていて、あなたが東京だったと思い出して電話をして見たの。」
「有難うございます。身体は大丈夫だけど、お米が無くなって、売ってるところもないんです」
「それは、大変ね。すぐにお米と少しだけど、果物を送って上げるわよ。届くまで何とか、元気でいてね。」
少しの物流が回復して、5日後に届き「お米が10キロもあったので、この期間に助けて頂いたマンションの人達や親しい人達に配って喜んで頂けました。
これ程、嬉しかった事はないです。
同級生が女神様のように思えました。
突きつけられた残酷な現実を救うのは?自分自身である!!!
生きていれば「まさか!?」が起こります。
私のように突然、災厄に見舞われた時に助けてくれた人、助け合って乗り越えた住人の方達には恩人のように大事にしたいと願っています。
しかし、その時に自分自身を守るには自分しかいません。
鬼畜のような叔母の正体を見なければ一生、知るコトは出来なかったのです。
化けの皮が剥がれて良かったと心からそう思っています。
人生が何事も平穏無事に行けば良いのですが、どんな人にもいつ何時に残酷な現実を突きつけられるのか、神以外に知る良しもないのが人生です。
しかし、いざという時に頼りになるのは、唯一、自分自身のみです。
どんな時でも自分以外の人は、自分の心の奥底を知る事は不可能なのです。
自信とは自分を信じると書きます。
どんなに弱っちい自分であっても、あなたが自分自身の唯一の味方です。
決して自暴自棄にならないで、ネグレストにならないように、唯一の味方を死ぬまで裏切らないで下さい。
あなたが自分自身を守って上げなくて、一体、どこの誰が守ってくれるのですか。
悲しい時も惨めな時も、ずっと寄り添ってくれて一番、理解して上げれるのは自分自身だけです。
パートナーや親子、恋人、身内や親友、友達も自分以外は、みな他人とハッキリと認識するべきです。
現実逃避せずに直視して下さい。
自分を愛せない人は他人を愛する事は出来ないからです。
ここまで割り切れば、他人に対しての依存や期待もなくなり本当の意味で自律した人間となれます。
自立ではなく自律です。
自分を守って、コントロール出来る人間となって初めて一人前になれるからです。
最後に一言
自信に満ち溢れた人を他人は放っておきません。
向こうから依って来てくれます。
どんな時も自分自身を大切にして上げて下さい。
自信とは、自分を裏切らない、自分を信じられる人の事を言います。
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あなたと又お会いしましょう。