神のメッセージ4.己を見つめよ我は共にあり苦しみは一時なり
あなたは、神の存在を信じられますか。神を信じる事は、己を信じる事と同じです。これは私が直接に受けた神からのメッセージです。我は共にありの我とは、神のことです。 本当の意味で信じられる方には、苦しみが一時のことである事が理解できます。神=大いなる存在です。
私のPCの向こうにいるあなたへ 神様を信じて見ようって思われますか?
昔、本当の窮地に立ち入った時のことです。冬の寒い日のこと、高尾山の不動堂にじっと座って私は考えていました。滝行をしている行者が濡れた体のまま、出入りするために、床はびっしょりと濡れ、凍っています。
その時、どこからともなくこのメッセージが降りてきました。翌朝、日の出とともに外に飛び出すと、ちょうどその時朝日がパッと差し込んだのです。その瞬間に初めてメッセージの意味を悟りました。
私が生きようと死のうと太陽は明日も昇るでしょう。この偉大なる繰り返しの中で私たちの苦しみなど本当に一時のものです。闇はわずか一時のものです。今、真っ暗闇の中にいると思っていても、明日になれば陽はまた昇ります。闇はわずか一時のもの。
宇宙の壮大な計らいの中にあなたも私も組み込まれている
滝の流れ鳥のさえずり、宇宙の壮大な計らいの中に組み込まれている自分。それを実感できたとき自分の苦しみがいかに小さなものかが分かりました。
神はいつも私たちと共にいます。そして常に力を貸してくださっているのです。あなたはそれを信じることができますか。自分を信じることも他人を信じることも、また神を信じることも皆同じです。
疑いからは何も生まれてきません。たとえば、医者からもらった薬を疑いますか。どの成分がどのくらい入っているのかと言う専門的な分析を私たちは医者に任せて、ただ信じて口に運ぶしかありませんね。見えないものを信じる事はなかなか難しいものだと思うかもしれません。
見えないものをまず、信じて受け入れる事
しかし、よく考えてみると私たちの周りには、見えるものより見えないものの方がたくさん存在していることに気がつきます。その良い例が空気。見えないどころか匂いもしない。音も立てなければ触れているはずなのになんの感触もありません。それでも空気の存在は信じられます。
となれば、見えないから信じられないという理屈はもう通用しませんね。神は私たちの中に存在し、いつでもどこでも見守っていることをまず信じて下さい。肉体の持つ五官で感じることができなくても、存在しているものがある。
それを信じることができれば、神はあなたとともにいることに気づきます。人間は自然と同じく神によって生まれてきた存在です。神霊を分けていただいた神の分霊が宿っています。悩んだとき迷ったとき、苦しい時には、あなたの心の中に宿る神が、きっと答えてくださいます。
宇宙のシステムの中では、人間なんてちっぽけなもの
この広大な宇宙のシステムの中にあっては、私たちに見える現象界とはごくわずかなものでしかありません。そのわずかなものの中での人間の存在。その壮大なシステムから見れば、人間などほんの点でしかないのです。
その点の中の小さな苦しみ。それは自分にとっては宇宙にも匹敵するほどの悩みかもしれませんが、実は宇宙の中にあっては顕微鏡でも見えないほどのちっぽけな存在でしかないのです。その小さな人間の小さな苦しみですらも、神は逃さずに助けて下さいます。
困難にぶつかったときにこそ、それを正視し、逃げずに己の心の内を見つめなおしましょう。まず、神の存在を知ることです。疑いは否定につながります。信じるところに神は必ずおられるのです。苦しみは一時です。ほんの一時のことです。神を信じれば、宇宙の壮大なシステムを信じれば、ほんの一時のことで解決することです。
最後に一言
あなたが苦しくどうしようもなくなったときでも、常に神はあなたを見つめ手を差し伸べているのです。誰にもわかってもらえないと思っていたあなたの心も、神はちゃんと知っています。
苦しいときには、そこから逃げようとジタバタせずに、己をじっと見つめてください。その時にこそ目には見えなかった神の存在に気が付きます。神霊があなたの中にも宿っていることに気がつくでしょう。
又、あなたとお会いしましょう。