スピリチュアル神のメッセージ6握っているものをみな放せ
スピリチュアル的な見方をすると、あなたの握っている物質的なものを手放せと神が言っています。あなたは、全てを手放せますか?スピリチュアルでは、霊的なものや非物質的なものを第一としています。特に神はそれらを放すことにより心が、より楽になるぞ。と精神面を言っているのです。
私のPCの向こうにいるあなたへ 全て手放せますか? ネオコンサルの橘佑稀です。
相談者の悩みを3例上げ結果も簡単に書きました
case1.
ある相談者の悩みです。交通事故によりむち打ち症になった人で、後遺症で困っているとの相談を受けました。ところが、よく話を聞いてみると、むち打ちが完治してしまえば、事故の加害者から賠償金が支払われなくなるということでした。
むち打ちで働けないという理由をつけて、生活費を出してもらうつもりだったのです。こんなことでは治るはずの病気もかえってひどくなってしまいます。自分の意識が治療にブレーキをかけているのです。こう言う人は論外でお話しにもなりません。全く情けなくなりますね。ちなみに、スピリチュアル・カウンセリングで霊視をした結果、判明した事です。この人はお断りしました。
cace2
また.学校へ行きたくないために仮病を使って登校拒否を続けていた子供が、本当に原因不明の病気になってしまったという例もあります。このように肉体的な痛みや病気は実は精神的な病から発していることが多くあるのです。その後、サイキックヒーリング(霊査)により憑霊現象が現れました。その子に付いている悪霊が原因となって、発症したようです。何度かの除霊で改善し、ヒーリングを何度か施す事により、元気にならてご両親にも子供さんにも喜ばれました。
cace3
もう一つの例ですが、過去に犯した過ちや過失などで病気を引き起こし苦しんでいる人もいます。特に真面目で几帳面な人に多いようです。こういう人は自分自身に厳しく、自分のちょっとした過ちでも治すことのできない人です。あまりに潔癖で純粋すぎるのでしょう。
これらは決して悪い性格ともいえませんが、自分を許すことができない人は、すべて自分の考えの範疇でとらえ、自分をそして他人をも自ら裁いてしまうようになるのです。こうなると息もできないほど窮屈で、様々なストレスが溜まりに溜まって、そのうち心臓や胸などを痛める病気を引き起こしてしまいます。リーディングとサイキックヒーリングにより、半覚醒状態から、生霊であると本人の口から泣いて私に訴えて来ました。施術後、生き生きとしてまるで別人のようでした。
信じられないと思う人は、信じなくても良いですよ。でも、本当に不思議ですが、このような事例には事欠かないのです。
人間はいずれ肉体と言う衣を脱ぎ捨てなくてはならない時がある
病気になってしまうほど固執してしまうことを我執といいます。この我執こそが人間の心をくもらせ霊の存在を忘れさせている根源。この根源は肉体と言う物質を持った時から始まり、肉体の衣を脱ぎ捨てるまで続きます。しかし、人間はいずれ肉体という衣を脱ぎ捨てる存在でもあるのです。
となれば、この世でも肉体と言うちっぽけな存在にのみ目を向け、囚われている自分に気がつくはずです。今、自分が握っていると思っているものは、全部錯覚なのです。握っていられるのは現世だけの事。肉体の衣を脱ぎ捨てたときには、今、執着してしっかりと握り締めているものなどゼロになってしまいます。どうせゼロになるものなら、早くに捨ててしまった方が、もっと楽に生きられます。
手放せなければ、まず心の中に目を向けて見ること
自分のなかの所有欲、支配欲、名誉欲などを捨ててしまえば、ずっと楽に生きられる。そしてそれが霊的な進化にもつながってきます。今、自分の握っている幻の宝をどうしても離すことができないときには、まず、心の中に目を向けてください。プライドや慢心、固い自我の空に包まれている心。しかし、その奥にはキラリと引き輝いている霊魂があるのです。
しかし、自分で自分の霊魂をくもらせ自我によって何重にも包み込んでしまい、自分でもその存在を忘れるほどに傲慢になっています。この傲慢さから解放されるためにまず、あなたがここだけは離せないと、最も固執しているものを探し出してください。そして、それを手放す努力から始めてください。
すっかり手放せばこころの平安を取り戻せる
他人のことが許せなくなったとき、やはりその人の内に宿る心霊を考えましょう。その人と自分とは、同じ神からの分霊(わけみたま)を持った兄妹同士。自然の万物に霊が宿り、そこに神が存在することがわかると、花や木、石でさえ愛しく、親しく感じます。
最後に一言
相手の中の神に手を合わせる、お互いの中に宿る神に手を合わせあうことができれば、スムーズな人間関係が結べます。神の前では全てが同じ人間です。古神道では、すべてが神の子です。
神には世界も人間も全く同じです。この世のことは、あの世でも続きます。この世とあの世とは地続きです。となれば、今、握っていると錯覚していることに早く気がつきましょう。
「恃む(たのむ)ところあるものは、恃むところによって滅される」と言う織田信長の言葉があります。現世で握っているもののために滅ぼされることのないよう、執着・執念を捨てることです。
神が「手放すと楽になれるぞ」と言われるのは、まさに執着や執念のことを指すのです!
又、あなたとお会いしましょう。