人間関係で好かれようとする行為は、逆に嫌われることです。
人間関係で愛想の良い人は、好感度が高く人に好かれると勘違いしていませんか。人間は千差万別あなたのどこが好きなのか、嫌いなのかは人間関係に於いては、相手が決めることです。つまり、好かれようとすることは、根底にコンプレックスや自分に自信がないので良い人に見せたがります。人間関係で今日から良い人ぶるのは止めましょう。
私のPCの向こうにいるあなたへ 人に好かれたいですか? ネオコンサルの橘佑稀です。
人間関係で嫌われる人
人間関係で嫌われる人は、完璧主義者やこびへつらう人です。完璧主義は、堅苦しくて正論ばかりで杓子定規で測ったような人が多いです。
マシーンやAIではなくて、人間なんだから少々抜けていても、へまやって、ドジ踏んでも、先走っていても、未完成でも良いのです。そんな所があってこそ人間臭臭くて、逆に好感度が上がります。又、好感度と言えばそこにしがみつくのが人間です。
好感度を上げる為に好かれようとしないこと
好感度を上げるために好かれようとお芝居をすることは、もっと、嫌われます。下手すると悪循環に陥って自分が自分でなくなります。あなたは、あなたそのものであるから良いのです。それは、対相手の為ではなく自分の為です。好感度を上げるがためにあなたが、あなたでなくなり、価値が下がるだけです。これでは、本末転倒してしまいます。
完璧主義は、一番嫌われる
自己認識度の低い人はどうしても、考え方が卑屈で偏狭になります。もっと、肩ひじはらずに柔らかくしましょう。兎角、完璧主義者は、自分にも完璧を求めますが、相手にも要求するのです。これが非常に“はた迷惑”なのです。
私達が生きているこの現生において完璧はありえません。言い換えれば完成度を目指しての努力をそれぞれの分野で日夜繰り返しているからだけで、言ってみれば完璧は最終的な目的なんですが、完成する前にもう違うバージョンになってしまいます。しかも、一歩間違うと完璧主義者は、自分自身に対してもあなた以外の人に対しても“いじめ”になります。
自分に素直になりましょう。身の丈が一番です。目指すのは、常に手の届くちょっと上です。それを繰り返していることが、自然と人間の成長度に繋がることをまず、知りましょう。
こびへつらってまで好かれたいのですか?
次に人に嫌われるのが怖くて、こびへつらう事と相手の顔色を見て自分の行動を決める人です。決して、相手に合わせるなと言っているのではなく、時には相手に合わせることも肝心ですが、自分を持てと言っているのです。
自分のない人は、個性がありません。隣にいても空気みたいな存在で「あの人は、あなたの隣にいた人じゃない」と言われても思い出せません。一層、ぶすっとしていて無愛想の方が、何だか感じ悪いと思われても、ないよりは、まだ存在感があるから増しです。存在感がないのはいないのと同じなんですよ。
薔薇は薔薇であるために美しい
朝顔は、薔薇の花にはなれません。タンポポは、菊にはなれません。朝顔は、可憐で朝咲いたら夕方にはしぼんでしまいます。反対に薔薇は、妖艶で華麗です。薔薇が朝顔のようになったら価値がありません。同様にタンポポは、野原や道端に可愛い花を咲かせます。タンポポが高望みをして、豪華絢爛な菊になったとしたら、葬式の花輪にもなりません。(笑)豪華な菊が無理して道端に咲いても、変な人が盗んで行くだけです。従って薔薇は薔薇だからこそ美しいのです。
最後に一言
薔薇や菊が好きな人もいれば、朝顔やタンポポが好きな人もいます。好みは人それぞれです。その人を選ぶのは、あなた以外の人です。だから、こびへつらってまで相手に合わせることはないのです。これが”悟り”の第一歩です。それでも自分自身が分からない人は、毎日、100回おまじないのように「自分は、このままで今のままが良い」と口に出して唱えて下さい。”言霊”の作用で自分を許す、受け入れることができるようになれます。
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又、あなたとお会いしましょう。