人間関係で自己正当化は間違い?複雑怪奇で命取りになるかも
自己正当化を人間関係で使うと何もかも滅茶苦茶になって、総崩れになります。この世に生きていて人間関係で悩みなどない人など皆無でしょう。特に間違った自己正当化であれば尚更です。それには、素直にストレートに言葉や態度にして相手に伝える事、そして、自分自身に嘘を付かないことです。
私のPCの向こうにいるあなたへ 気が付きましたか? ネオコンサルの橘佑稀です。
信頼できるはずの人間関係なのに血縁が一番厄介
あなたを取り巻く周囲は、職場の上下関係や友人、恋人、家族、どんなに親しい関係であっても悩みが尽きることはありません。むしろ、身内や親戚は血が濃い分一筋縄ではいきません。
一番身近で分かってくれていると本人が思っているだけで、又、固定観念が強くて遠慮がない分、それぞれの人達が好き勝手で言いたい放題です。なぜ?それは遠慮会釈がないからです。
言っても分からないのに、言わなきゃもっと分からない
親しき仲にも礼儀ありとは一番近しい人であればある程、言える言葉でしょう。普通の当たり前の事を言っても一切通じません。何故って?言う口はあっても聞く耳を持たないからです。
「俺の気持ちくらい分かっているだろ?」「私の言う事を理解してくれて当然よね」
言葉に出さないとわかりませんよ。例え、言葉に出しても理解不能と言うか突然、思考停止になってしまうのです。本当に身内が一番厄介ですね。醒めた言い方ですが、煎じ詰めれば“身内、兄妹、親戚だから分からない”ってことだろうと変な理解をしています。(笑)
ちょっとした自己正当化から複雑怪奇が始まる
さて、人間関係から不毛ともいえるトラブルが際限なく生まれ、私たちは苦しみにのたうち回りながら生きているのが現代です。
あなたは、こんな経験はありませんか?
●慌てて会社に行かなきゃと思っていると、後から来た人を気付いているのにエレベーターのドアをしかとして閉めた。
●やっと座れた電車で席に腰かけていたら、ご年配の方が前に立っていたのに寝た振りして譲らなかった。
●前のお客が銀行のATMで、もたもたしてたので時間ばかり取って、イラついて急いでいるのに待ち合わせに遅れた。
あなたにもあるかも?私は悪くない、相手が悪い
正直に言えば、私はあります。「でも、私は悪くない、相手が悪い」「私には、最重要な仕事あるから仕方がない」「私のほうが被害者だ」こんな事があった後にちょっとした自己嫌悪に襲われます。
なんで、私はちょっと待って上げたり、いらついたり、譲ってやれなかったんだろう。被害視野面して、なんと器量の狭い人間だろうかって・・・。
例え、瞬間的とも言える突発的な出来事は、逆らえないような感情が噴出してくるものですから、自分を過剰に評価して自己正当化して屁理屈をつけて、「だから私は悪くない、相手が悪い」と相手のせいにすると楽なんです。
何気ない自己正当化から命取りになる
しかし、このことが取り返しのつかない後悔を生んだことだって山ほどありますが、結果として自己正当化をしていたら、やらなきゃいけない事を怠ったり、まず、自分にコミットした事を履行できなくなって他人の所為にする。相手が悪いことをしたから自分が望ましくない選択をするのではないというところです。
ところが、逆なのです。自分が望ましくない選択をしたがために、相手が悪者になる必要が出てくるのです。そうするとこれは癖になります。その癖が身について“性格”になって出て来るのです。すると、相手も自分を正当化し始めます。
最後に一言
冒頭に書きました、身内、親戚、恋人、友達、職場と負のスパイラルにはまってしまって、複雑怪奇になり取り返しの付かない状態になりますので、まずは、自分にコミットしたことを最低限、裏切らない事から始めましょう。ちょっとした事から、火の手が上がって大火事にならないように、命取りにならぬ為にも!自己正当化を禁じ手として、使わないようにするべきです。
又、あなたとお会いしましょう。