スピリチュアル 日本人のココロのふるさとは古神道にある!
スピリチュアル的な私見ですが、日本人のココロの故郷はどこなのか?昨今、毎日が不安で物騒な事ばかりですね。私は心の故郷である原点回帰は、古神道にあると考えています。スピリチュアルとして見ても何の矛盾も感ずるどころか、母の胎内にいるような柔らかで、ほっとする安心感を古神道の中に見出しました。その世界観をあなたにお伝えします。
私のPCの向こうにいるあなたへ 不安はないですか? ネオコンサルの橘佑稀です。
太古の昔にもいた神と悪魔
まだ、科学も文明もなかった原始時代、自然の天変地異は、偉大なる何者かの力によって引き起こされると信じられていました。その偉大なるものとは神であったり悪魔であったりもしました。
人間に対して恵をもたらすのは神であり、災いを起こすのは悪魔であると考えられていたためにこの神や悪魔と対話することによって、人間の願いを神や悪魔に伝え、そして説得できる能力を持つ人の存在が必要になってきました。
シャーマンって何をする人?
こうして人々の願いによって生まれたのがシャーマンです。シャーマンたちは、神や悪魔とのコンタクトのために言葉を唱え、一定の儀式を行い、人々の願いを神に伝え、聞き届けてもらうことができる人たちのことです。
自然現象は時としてそのシャーマンたちの祈りに答え、長雨を止め、日照にはにわか雨を降らせ、突然の雷を起こしたり、神風を吹かせたりというような神通力を発揮しました。又、人々に癒しを与えました。そのために人々はシャーマンの力を信じ、畏敬することになりました。
シャーマニズムはどこの国にでもある
シャーマニズムはその土地、その風土に生まれ育った民俗宗教です。もともとは自然の畏敬から始まり、その自然の偉大なる力とのコンタクトによって生活の、安定を得るために知恵として生まれたと言っていいでしょう。
世界各国にはそれぞれにシャーマニズムがありますが、その宗教形態はその民族の行動意識や生活様式によってそれぞれに違った形態になっています。
日本古来からの民族宗教は古神道
日本の民俗宗教の原点は古神道です。
もともと、古神道であった日本人の行動意識や生活習慣の中で生まれたのが神道です。そこから神道の歴史が始まりました。しかし、仏教の伝来によって神道自体が大きく変化することになりました。
仏教の台頭によって、仏が神の本体であり、神は仏の仮の姿と考えられるようにもなってきました。そして神殿には、祭神の本体としての本地仏がまつられるようにもなったのです。その仏教との集合にたいして、敢然として神道の主体性を主張し続けてきたのが古神道。
日本人のココロのふるさと呼ばれる訳は?
古神道こそが日本の民俗信仰の間にふさわしい形と言えるでしょう。なかでも、シャーマニズムの奥義は古神道だけに残されています。古神道は神道の原点であり、日本人の民俗宗教の原点でもあるのです。つまり日本人の心のふるさとになっているのが、古神道と言えるでしょう。
これがシャーマニズムの奥義!
シャーマニズムの奥義は偉大なる自然の力と合体することです。自然のエネルギーとのコンタクトが古神道の最大のテーマになっています。そこには教義もなければ、経典もありません。特別な教えもなければ、他の宗教のように、開祖と言われる人もいませんし、戒律も何もありません。
そう言う意味では非常におおらかであると言うことができます。そのために古神道とは何かと言う問いは、非常に答えにくいものになります。この明確な答えを持たないのが古神道である、と言っても過言ではありません。日本人の魂の奥底に根付いているので分からないだけです。
「まこと」から始まる真心とは?
しかし、全くないということではありません。 「まこと」と言う基本的な倫理観があります。この「まこと」とは、私欲や邪心がないココロのことです。つまり真心のこと。
ではこの「まこと」である真心だけ持っていれば、人は幸福になれるのでしょうか。残念ながら決してそうとは言い切れないのが現実です。それは現代ばかりの問題ではありません。いつの世であっても、人間が存在する限り、真心だけでは通用しない事態が起こってきます。
真心だけでは、幸福にはなれない矛盾
ならば、いったい幸福になるためにはどうしたら良いのでしょうか。実は「まこと」のココロに「祈り」のココロが込められたところに神の恵み、神の救いがあります。この神の恵みを祈るために「まつり」があります。これが「祭祀」です。「まつり」と呼ばれる神事は、神を再確認し、身心を清め、人類の共同体の意義を高めるためには、必要な行事であるといえます。
「まつりごと」って何?
昔は政治も「まつりごと」と言われたように政治と神祭りとは同じ意味を持っていたのです。つまり政治とは、国家、国民の安全を守るための祈りが込められて初めて政治になるわけです。しかし、実際にはどうでしょう。何やら国民不在の政治が多いように思いますが・・・。
実は神のココロとは反対の方向に歩みがちなのは、何も政治ばかりではなく、個人においても同じことです。私たちの生活においても、ともすると、神の心とは反対の方向に歩みがちなものです。国家の政治ばかりではなく、私たち個人の毎日の生活そのものがまつりであるという意味が込められています。
おおらかな古神道には、戒めがない
信仰上教えの中には、 「 ・・・してはいけない」と言う戒めはありません。これはすべて、人を神の子として認め、人間の欲望を肯定しているからです。だからと言って人間が欲望のままに振舞っていいということではありません。おおまかに言えば古神道は、自然崇拝が主体となっているからです。
戒めがない代わりに、祭りの中に潔斎による慎みや罪、汚れの「はらい」などとなって提唱の中に制限が加わっているのです。
最後に一言
個人的で申し訳ないのですが、私のスピリチュアリストの原点は、シャーマンでした。私が、師匠より直伝や口伝によってのみ受け継がれて来たもので、時代と共に変化を遂げて現代に至っています。
私、個人が崇拝する神「天の三御中主」アメノミナカヌシ様を主神としてお迎えしております。何度となく私自身の命を救って頂き、クライアントさんに喜んで頂いて、今、こうして生きている事に多大なる感謝をしております。
宗教団体ではありませんので勧誘はしませんので、ご安心下さい。
又、あなたとお会いしましょう。