古神道のココロは、優しく穏やかで逞しい日本人のDNA!
古神道と聞くと何だか古めかしくて、堅苦しそうと思いがちですが、古神道のココロは、優しくて穏やかですが、時に逞しさも持ち合わせています。日本人のDNAの中に自然に組み込まれたものです。戒律も規制も必要がありません。古神道は、日本人ならだれでも持って生まれたココロのことで、アニミズム(自然崇拝)が基盤となっています。
私のPCの向こうにいるあなたへ 理解できますか? ネオコンサルの橘佑稀です。
↑古神道の鎮魂ポーズ
美意識や感性は日本人の独特なもの
古神道は自然を崇拝する私たちの先祖から生まれてきました。日本人は他国の人より自然に敏感で、四季の変化を感謝し、そこに楽しみを見いだしてきました。日本人独特の感性、美意識の表れである俳句、 茶道、花道などの文化も、こうした自然崇拝(アニミズム)が土台になっています。
近年では、異常気象によって四季の移ろいもなく「暑いか寒いかの二択」で四季と言うよりも二季と言った方がふさわしいような感じもしますが、実は、月見と言う習慣も外国の人にはわからない日本人ならではのもので、風情や情感も独自のものですね。
命をはぐくむ草や木にも生命が宿る
四季の変化によってもたらされる旬のものを神前に備える風習も、古神道から生まれたものです。とれたての食物にはまだ生命があふれています。収穫されたこれらのものを神に捧げて喜んでいただく。神が喜ぶものをまた、自分たちも喜び、旬のものを感謝し、ともにいただきます。
「七草がゆ」の習慣も、その年一番に芽を出した若草の生命力を体に取り入れ、食べた人もまた若草のような力を得る、と考えられてきました。私たちが道端の小さな花に心引き寄せられたり、青々と茂る草を見て感動を覚えるのは、まさに古神道が日本人の心に深く浸透している事の証明と言えるでしょう。
神様を否定しながらも魂の奥底では肯定している
家、ビルを経てるときには地鎮祭を行い、受験を控えて合格祈願を行ったり、交通安全のお守りを車に下げていたり・・・、神様を否定しながらも、知らず知らずの内に人は神様に頼っており、そのことによって日々を安心して暮らしているのです。
科学の最高の技術を搭載した飛行機のコックピットに「神符」が置かれているのをご存知でしたか。パイロットたち自身もまた空の旅の安全祈願に、長時間のフライトの前には神社にお参りしているそうです。
大型船にもやはり神棚が祀られています。ここに、人間が最善の方法で生きていくことだけでなく、それ以上の神の力を求めている本来の日本人の魂が見えてきます。
何故か、時折思い出すココロのよりどころ
古神道は私たち日本人の心や文化に大きく影響しています。それが顕著に現れているのが初詣。世界で最も宗教心のない国民と言われる現代日本人ですが、年の初めに初詣に出かける人は年々増え続けるばかり。例年元旦のテレビ放送には初詣客が映し出され、その人の多さにいつも驚かされます。
普段は「神様なんて・・・」と馬鹿にしている若者も、このときばかりは一年の計を祈っているのでしょう。物見遊山の感がないでもありませんが、それでも初詣に行かないと何となく気持ちが悪いものです。初詣に限らず、神社やお寺に向き合うと、何故か手を合わせたくなる・・・と言う人もいるでしょう。
困った時の神頼みをした事はありませんか?
「困った時の神頼み」と言う言葉通りに、私たち日本人は日常的には神の存在に無関心であったとしても、いったん事が起こると、そこには「神」が随所に登場することになります。しかし.日本の民俗宗教たる古神道の神様たちは非常におおらか。戒めもしなければ、大した規制もありません。
最後に一言
古神道の神々は、日本人の生活そのものに密着しているために、私たちは神を意識することはあまりなくても、生活すること自体がすでに神に祈っている事と同義になっています。それほど私達の根源的なところにあるので、その存在を意識していないだけです。しかし、日本人の中にあるDNA自体は決して神様のことを忘れてはいません。日本人の魂の中で生き続けています。優しく穏やかにそして、逞しく!
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又、あなたとお会いしましょう。