生きるには覚悟がいる?今後は甘い覚悟だとなまぬるい!
ネオコンサルの橘佑稀です。仏教の教えの中で 生老病死苦があります 何故”生きる”が先頭に来るのか?生きるとは覚悟がいります。それは苦悩を伴ない 今後1ミリ足りとも甘い覚悟では 生きられないからです。私は、自然を神と捉える古神道ですので門外漢ですが、私なりに検証した結果です。
私のPCの向こうにいるあなたへ
覚悟を持って生きることとは?
最近この「生老病死苦」の文字の並び方が大変興味深いと感じました。「なぜ、一番先に“生”が来るのだろう?」を追及して一つの結論に行きついたのです。それは「生きる」とは、悩みや苦しみを伴ない、楽しみや喜びも合わせ持つと言う事です。
切腹は覚悟がいりますが、死ぬことは誰しもいつなのか分からないので、考える必要はありません。しかし、生きることに関しては考えが必要で、ものごとを決断、行動するには、まず覚悟がいるからです。
と言うことは、生きる即ち、覚悟がいると言うことです。甘い覚悟ではものごとは進みません!それに続く「老病死」の苦は並びにしても意味にしても理解できますよね。
天変地異か?それとも?
最近は、とみに閉塞感や息苦しさ、世知辛さを感じます。ふり帰って見た時に日本ってこんなに気難しい国だったのかな?あまりにも神経質過ぎて、おおらかさのようなものが無くなったように思えるのは、私だけでしょうか?
四季折々の情感があって、もう少し季節がゆったりと流れ過ぎて行っていたような感覚でした。今年の秋は、昼間は、ギラギラと照り付ける太陽の真夏日と夜の温度差が10度以上も下回って身体が着いて行きません。
そして、湿度90%でも雨が降らずにもれなく、カビと梅雨が付いて来ているような(笑)何とも妙な季節感です。私には、本当に地球が悲鳴を上げているのを痛感します。
愚かな人間のエゴで地球が破壊されている
地球の住人は、人間だけではなく動物も植物も存在しているのにエゴな人間の愚かさで・・・
何年か前には、秋が深まるにつれて黄金色の木の葉がカサコソと舞い落ち、赤いもみじが山に色どりを添え、一雨ごとに寒さを感じて、季節の移ろうさまが色彩鮮やかでした。そこはかとない切なさや寂しさと共にとてもセンチメンタルな気分にしたりましたが、
日本特有の文化でもある「わびさび」も過去の遺物と化してしまいました。これでは紅葉も汚い色となる事でしょうね。
最後に一言
今は、時間に追いかけられて、気が付いて見たらもう一年が過ぎているってそんな感じがします。世間の人達がコセコセ、セカセカしていて何もかも縛られてがんじがらめになっているような。呪縛に似た拘束感を感じるばかりです。かと言って手をこまねいていても仕方がありません。
猫の目の色のように移り変わる世界情勢を目前にして、どうか生きる事に危機感を持って下さい。そして覚悟をして生き抜いて下さい。覚悟一つですべてが変わって見えます。
又、お会いしましょう。