孤独は寂しいけど、人間力をアップする為に必要不可欠な時間
人は、孤独に対してとかくマイナスのイメージが付きまといます。孤独の寂しさを恐れて、あらぬ脅迫観念を持ち孤独の時間が、どれほど人間力をアップしてくれるのかを知りません。体験上、本当に孤独を味方にすると人間力に磨きがかかって、他人がよって来るので今度は寂しさも、すっ飛んで孤独の楽しさのために孤独な時間を持ちたいと思う程です。
私のPCの向こうにいるあなたへ 孤独を楽しめますか? ネオコンサルの橘佑稀です。
孤独の正体は人間関係?
孤独だと思われるのは人間関係が上手く行ってないから「あいつは、孤独なんだ」と思われること。これが一番の原因で、孤独=人に好かれていない。→だから自分は人間的価値がないと思い込む→他人から兎に角、孤独だと思われたくない。と言う悪循環の繰り返しで孤独を恐怖だと思い込み辛いと感じる。
こんな痛い質問は嫌です。
もし、あなたに向かって、こんな痛い質問をされたら誰でも嫌ですよね。「あなたは、孤独な人ですよね」これ程、傷つく言葉はないですよね。愕然とします。では、逆に質問した当人に「孤独な時間っていままで、全くなかったの?」って、聞いてみたいですよね。孤独は、人間の基本の基です。
孤独じゃない人はどこにもいない!
絶対にあり得ない話しです。と言う位に誰にでも、孤独は、あって当たり前のことです。私の体験上の答えは、そう言うココロない言葉を投げかける連中とは、いつも誰かと群れている人が多いです、多分、心理的に考えるとチンピラのように群れの中にいないと疎外感を感じて、居たたまれずに群れているんだと確信しています。
群れたがるチンピラ
そして、一人で何でも行動できることの嫉妬心の現れだと推察します。だって、それらから離れて一人になったら、孤独だと分かっているから、ろくでもないような友達とつるんで、漫然と時間を垂れ流しているのでしょう。こんなウジ虫は放っておきましょう。
サイのツノのように悠然と草原を歩め
私の好きな言葉に「サイの角(ツノ)のように只、ひとり歩め」仏陀のお言葉です。インドサイは、群れではなく単独で行動する動物なので、サイの一本の角という表現は、ずばり「孤独」を意味します。このように仏陀の教えの中で孤独を勧める背景には「私たちの悩みは人間関係から起こる」との分析があります。
やはり、人間関係に帰結する仏陀の言葉
つまり、悩みを生み出す原因が「人のつながり」にあるのなら、そこから一時的に離れてみることが心の成長に必要不可欠だと言う事を言っているのです。そして、離れること(孤独になること)によって自らを内省させる。自らの内に潜む意識が猛然と湧いてくるからです。
孤独はメリットだらけ、デメリットはない
確かに、孤独でいるメリットは、測り知れないものがあります。デメリットは、ほんの最初だけです。邪魔が入らない分、一点集中が出来る。そして、もの事に没頭できます。

孤独の初めってどんな気持ちなの?
孤独の初めは、切ないし哀しい、そして寂しい。過去を振り返って涙が溢れて止まらなくなったり、落ち込んだり「あーあの時のあの人が私にとった冷たい態度は、実は、私のことを思うがためにした優しいココロから出たのだ。」と突然、今まで謎だったことが降って湧いたように分かって、雪解けのように私のココロのシコリが溶けて行くのです。
そう言うことが分かって来るとその相手を許す事ができ、そして、同時に自分を許すことすらできてしまっているのです。不思議な感じですが、そのくらい孤独の効力は絶大です。
一人で生まれて来てひとりで死んでゆくに、抵抗がなかったら合格◎
お釈迦様は、「人間は、一人で生まれて来てひとりで死んでゆく。」とも説かれました。この言葉って最初は、抵抗があってココロにつき刺さって痛いのですが、孤独時間が長くなればなるほど、「なるほどね」ってすんなりと腑に落ちるようになります。
最後に一言
ここまで来たら、もうしめたものです。あなたには人間力が備わって、更に自分の生かしどころもわかり、他人があなたと一緒にいたいと自然と寄ってくるからです。そうすると優しい気持ちになれて、しかも、自分自身の孤独で自由な時間を楽しめるようにすでになっていますから。安心して下さいね。
こちらの二つの記事も参考にして下さいね。
又、あなたとお会いしましょう。