スピリチュアル大いなる存在、究極の愛を体現して全てを包む
あなたは、こんな時ってありますよね。それは、信じる、信じないのを別にして「苦しいときの神頼み」と言う言葉があります。多くの人は、嘲笑的にこの言葉を使いますが、実際に絶対絶命のピンチに追い込まれたときにとっさに神仏に救いを求めてしまうのは、人間だれしもある事です。
無力であると認めた人間がすがる究極の大きな愛の存在
どんなに努力しても何も得られないとき、不幸が続くとき私達は人間の力ではどうすることも出来ない何かを感じます。それは、どんな人でもある事です。すがりたい、救われたい、よりかかりたい、包まれていたい愛の中に・・・。
その何かを追究すればするほど、私たちがその前に無条件降伏せざるをえない、とてつもなく大きな存在の影が見えてきます。このとてつもなく大きな力を神と言う名で呼ぶとすれば、多くの人は神の力を信じる事ができるのではないでしょうか。神にすがるのは弱い人間だ、神なんて存在するはずがない。そう思っている人も中にはいるでしょう。私は否定するつもりはありません。
人間とは本来弱いもの、強い人なんて誰もいない
ただ、私自身を含めて人間とは時として弱い者です。神とは自然の力であり、私たちのなかにも生きている力です。神はあらゆるところに遍満している存在です。偉大なる勇者であり、誰一人として受け入れない事はありません。例え、否定的な人でさえも受容してくれる。側にいるだけでも心が癒され、心にぽっと灯がともる。その暖かさは何にも勝るものです。
どんな暗闇であろうが、苦境であろうが全てを受け入れてくれる。海よりも深く山よりも高く、空よりも大きく、大地よりも広い、その懐はすべてを包み込む。
例え、悲しみであろうが、苦しみであろうが、何一つとして排除することもなく、包み込んでくれるそんな存在です。その力をもっと強力にするために、多くの人は神に願い神に詣でるのであり、窮地にあって神の名を呼ぶのは、自分のなかの神の力と宇宙に遍満する神の力とのドッキングを願う究極の真言とも言霊とも言える言葉です。
生くるもまかるもすべては神の手の内
まさに「信ずるものは救われる」この一言だと思います。