不思議な体験 実話で感動!「映画」最後の忠臣蔵の侍が登場?!
不思議な体験です。実話で感動しました「映画」最後の忠臣蔵の侍が、スピリチュアルな場面で実際に登場したのです。狂ってるんじゃないと言われそうですが、本当にあった不思議な体験です。映画とごちゃ混ぜになっていますが、私との問答の中に最後の忠臣蔵の侍が、突然に登場しました。当時は全く理解不能でしたが、今になって分かった事です。
私のPCの向こうにいるあなたへ 不思議な体験しましたか? ネオコンサルの橘佑稀です。
泉岳寺様よりご提供して頂きました。合掌
まずは、私の自己紹介です。
私は、メインの仕事がサイキック・ヒーラーなので、クライアントさんに憑依している霊をクライアント自身に降ろす事が出来、自ら体験させることのできる秘伎を持っています。
奇妙な動きや悲痛な叫びを私に訴えて来る事は、サイキック・ヒーリング(霊査)の最中は珍しい事では、ありません。
むしろ、日常茶飯事なので大して気には、留めてはいませんでしたが、しかし、御神前でご祈祷中に霊が降りて来る事は、後にも先にもまず、あった試しがありませんでした。
御神前に突然、侍が弟子に降りて来た!
当時、高輪の泉岳寺の近くにいた頃の事です。
私が御神前に向かって、一番弟子とご祈祷をしていた時でした。後ろに座っていた弟子の様子がおかしいので、私は咄嗟に振り向きました。
すると妙な動作と言うか所作と言う方が正しいかも知れませんが。ずっと、ひれふしたままなのです。
まさに映画を観ているような気分です!!
あまりにも尋常でない空気を読み取り、後ろを振り返ったら、親指を床に立て後の四本の指は、軽く握ったままで平伏して、そのまま後ずさりをするのです。
その姿は、裃(かみしも)を付けたお侍のようで全く顔を上げずに、まるで、私がお殿様になったような気分でした。
このまま、そのまま時代劇の中にトリップしたようです。
すると、私の言葉使いも自然に変化して「お主、近こう寄れ」「突然に現れまして、大変ご迷惑をお掛けしたご無礼なにとぞ、お許し頂きとう存じまする。」
「そなたの名は何と申す。」「拙者は、名を名のる程の者ではありませぬ。」
「何と!名を名のれぬとは、無礼千万!」「ご無礼な事は重々、存じておりまするが、そ、それだけは、何卒、ご勘弁の程を」
ここまで来たら名を知りたかったが、本音!
「それ程、申すなら何かの事情があっての事」「ありがたき幸せにございまする」
頭を地べたにこすり付けるほど、ひれ伏した侍でした。
「して、その用件とは何じゃ」「泉岳寺に参った際に、こちらへ馳せ参じ仕りました。あなた様とお会い出来まして、これ程の有難き幸せはありませぬ。」と言った切り、煙の如く消えた侍・・・。
あにはからんや、泉岳寺は討ち入りで大賑わい!
弟子はポカーンとして、私も何が何だか、わからずに現実に戻りました。
お腹も空いて来たので、ご飯でも一緒に食べようと表に出た途端に、第一京浜を行く赤穂浪士の行列にぶつかり、泉岳寺では300年祭の真っ盛り。
その日が12月14日の討ち入りの日とは、二人共、忘れてた。
出店が出て大賑わいでした。
境内で美味しい物ばかり食べて、戻って来るとハタ!と気づいたのです。「そう言えば、赤穂浪士四十七士に含まれていない侍が一人いた事を!」
長い年月が経って、巡り会った「映画」最後の忠臣蔵
それから、うん十年の月日が経ち、すっかり忘れていたのですが、たまたま「最後の忠臣蔵」をビデオ屋で見たのがつい最近でした。早速、借りて来て観ました。
角川映画によれば、
四十七士には、一人だけ生き残りがいた。
討入りの真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助するという使命を
大石内蔵助に与えられた、寺坂吉右衛門と討入りの前日に
逃亡した瀬尾孫左衛門、言わばもう一人の生き残りだ。
もし、あなたに時間が取れたら、いつでも良いので是非!観て下さいね。
上記にリンクを貼って置きました。クリックすると、映画も見れるようです。忘れていた何かを思い出せます。ビートたけし氏も絶賛の最高の作品ですよ。私の言わんとしている事が分かります。
瀬尾孫左衛門が、御神前に現れたと思っています?!
今となれば定かではないですが、もし、実在していたとしたら瀬尾孫左衛門のような気がします。
と言うよりも瀬尾孫左衛門であって欲しいと思っています。これは私見ですが、名を捨て、身を捨て、忠義を尽くした。
名も無き武士。例え、割腹しようと、介錯は要らぬと吉右衛門の申し出を断った男!瀬尾孫左衛門。
あの日に、御神前に現れた侍。300年過ぎても、未だに名を名乗らぬ侍を垣間見たような気がします。
日本人の典型的な武士道の潔さ!!
こんなに廃れ切った世の中だからこそ、魂が打ち震え、心が叫び声を上げ、日本人が求める最後の武士魂を魅せつけられ、その潔さに感動し、号泣しました。
これぞまさしく、武士の鏡です。
何と言っても映画だから・・・でも、真実かもしれない!!!
忠臣蔵は史実ではない、赤穂浪士は物語であると言う説もありますが、中には、吉良方の応援をする方もいるでしょうから、アンチがいても当然だと考えます。
例え、私は、そうであろうがなかろうが、そこにロマンがあり感動があれば映画だから、それで良い。理屈も屁理屈も必要ないと思います。
あの日に御神前であった事だけは、覆せぬ事実だと断言します!!!
但し、あの日に弟子に降りかかったこと、私がサニワをした事(仲介として審判し、話しを聞きき、説得をする事)それだけは、誰が何と言おうとも事実です!
それに私は、シンクロニシティを何作かブログに書いていますが、「 あなたに意味のある偶然の 一致の出来事である」つまり、必然としか言わざるを得ない事の立証です。
これのみが事実であり、証拠である!
●かつて、私が泉岳寺の側に長年にいた。●弟子の家が、赤穂藩の上屋敷があった築地の鉄砲洲神社の近くであった。●私の父方は武家であった。●泉岳寺の三百年祭があった。●死んでも尚、名乗らない侍が登場した。●スピリチュアルで霊査ができたから。
最後に一言
これだけ証拠があると前世で何かのご縁が、あったのではないのかと思わざるを得ません。
とても光栄に思っています。
そして、私は今、まさにスピリチュアルが私の使命であったと痛感しております。
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又、あなたとお会いしましょう。