スピリチュアルのルールあの世とこの世の境界線は存在しない
スピリチュアルの古神道では、いわゆるあの世とこの世の境界線はありません。この世もあの世も皆同じ神霊の世界です。ただ物質としての肉体を持っているか持っていないかの違いだけなので、至ってシンプルです。
私のPCの向こうにいるあなたへ シンプルで驚きましたか?
ネオコンサルの橘佑稀です。
生きている間は物質、物質のない時を死と表現する
「生まれ来ぬ、先も生まれて住める世も、まかるも神のふところのうち」つまり、生まれてくる前の世も、生まれた世のそして死んでからも神のふところのうちにあるのだ、と言うのです。
物質がある時を生と表現し、物質のない時を死と表現します。しかし生と死の違いとは何でしょう。意識があるか無いかの違いです。この意識のある時期を生と呼び、無意識の時代を死と表現しているに過ぎません。
五官で意識して、心は知覚できないが確かにある
では物質としての意識とはなんでしょう。それが五官と言われる感覚機能です。五官を持ってすべての事を知覚しています。つまり意識しています。しかし、心とは五官によっては知覚できません。
つまり、一般人は五官と言う器官を使ってものごとを認識しているのです。
スピリチュアルはシックスセンス以上
いわゆる、スピリチュアル系では、シックスセンス以上を使って、常人には見えない世界や、姿、形のない世界を認識していると言うことです。
人によっては聴覚が優れている人もいれば、心眼の勝っている人、嗅覚で判断できる人、触覚で分かる人など人さまざまです。前世や過去性を当てる人もいます。
霊感の強い人もいれば、霊能に優れている人、霊視、霊聴、超常現象を起こせる人等それぞれが、卓越した能力を持ち合わせている事が前提条件となります。私の特技のことはここでは長くなるので割愛して、後に改めてお話しする事にします。
心は傷ついていても外からは、分からない
さて、話しを元に戻しましょう。一般人は、心が痛むようなことをしても、実際に痛みを感じるわけではありません。そのために、かなり心を傷つけたとしてもその傷すらも感じない場合が多くなります。
しかし、明らかに心が傷ついています。つまり心とは肉体にとって無意識の部分です。心と言う物質はありません。
心がどこにあるのかもわかりません。しかし、確実に心がある事はわかります。そのこころの存在とは、生命ではありません。
心の正体は非物質の霊である
それが霊なのです。生命は物質をつかさどるもので、物質としての機能が停止すれば生命の存在すらもなくなります。しかし、 霊と言う非物質は残ります。
最後に一言
つまり、あの世とこの世の違いがあるとするならば、物質の世界と霊の世界があるだけのことです。物質の世界を「現世」(うつし世)といい、霊の世界を「幽世」(かくり世)といいます。
さらにこの「幽世」とは、「根の国」と言い、すべての根源の世界と言うことになります。よって、あの世とこの世に境界線は存在しない。この根本が分かってない人がスピリチュアル界に我が物顔でいますが、インチキやペテン師は論外ですので除外します。
素人目には、わかりませんので騙されないようにして下さいね。
又、お会いしましょう。