どうする事も出来ない深い悩みの解決法?そったくの機で解消!
そったくの機とは、どうする事も出来ない深い悩みで自分を責めている人に、頑張れと励ますと尚更、辛くなります。側でじっと寄り添って待つ、後は愛情とタイミングの一致だけで解消します。そったく(啐啄)の機の本来の例えは、 卵の中のヒナが出たいと思う時に外から、すかさず親鳥が殻を割ってやる事を言います。遅くても早くても駄目です。
私のPCの向こうにいるあなたへ そったくを知っていますか? ネオコンサルの橘佑稀です。
「そったく」の意味は?
禅語の啐啄(そったく)の言葉から来ています。
卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がつつくことを「啐」といい、それに合わせて親鳥が外から殻をつつくのを「啄」という。
雛鳥と親鳥が、内側と外側からつつくタイミングが一致することで、殻が破れて中から雛鳥が生まれ出てくる。早すぎると外界で苦しみ、遅すぎても中で死んでしまいます。
両者の動作が一致することにより目的が達せられる事を言います。
この世に悩みは尽きるコトはありません。
私のメインの業務は、ネオコンサル。つまり、現実的なスピリチュアルを実践する(コンサルティング)ですが、サイキックヒーラーでもあります。
まず、最初にお会いした時には、スピリチュアル・カウンセラーとして、クライアントさんの悩みや苦しみをマンツーマンでお聞きします。そして、スピリチュアル・リーディングやサイキックヒーリングに移る場合もあります。
啐啄(そったく)と言う言葉さえ知らずに、すでに使っていた、当時を思い出しましたので、以前のクライアントさんと私の経験談を公開しようと思い書き留めました。
クライアントさんの紹介で美人の女医さんが相談に来ました・・?
安藤(仮名)さんは当時47才、女性で美人のやり手の内科医師でした。私は諸事情があり現在は故郷へ帰って3年ちょっとですが、東京での生活の方が断然長いのです。そこでの出来事をあなたにお話ししましょう。
安藤さんは、港区の一等地でもある南〇布で副院長を務めていました。中程度の病院と老人ホームを経営する慶〇医学部出身の医院長は、医師と言うよりも、どちらかと言えばバリバリのオーナー経営者でした。
安藤医師は医院長よりも遥かに患者数が多く、この女性医師で持っている病院でもあったのです。
何故、ベテランの医師がスピリチュアル???
私は別のクライアントさんの紹介で安藤先生にお会いしたのでした。「あなたは、こう思ったでしょ?何故、医師がスピリチュアリストにと?」しかし、結構、多いのですよ。
医師だからこそ、他の医師に言えない事や洩らせない事もあるのです。
医学的に解明出来ても、精神的な面でサポートして欲しい先生方は、男女を問わずに多いようです。只、プライドが邪魔して、アンチっぽくしては、いますが・・・。
成功者や事業家、実業家は普通の人より悩みが深い!
又、医師に限らず一流の事業家や実業家、一角の成功者などは、ある程度まで行くと人智を超えた何かがあるのではないかと思えて来るのですね。
腕や頭脳だけでは、どうにもならない不可解な事が、分かって来るようです。それも、突き抜けた方でないと、そこまでは到達出来ないのですが。
つまり、サムシンググレートが存在しているのでは、ないかと思えて来る訳なのです。
成功度が高ければ高い程、人には聞かせられない深い悩みがあるのですね。
医師は人の生死に関係するので、自らの非力さを嘆く!?
特に医師は、人の生死に関する職業なので担当医であれば尚の事で、患者さんと懇意になればなる程、ご自分の無力さで亡くなったのではないかと深く、傷ついて立ち上がれなくなる場合もあります。
逆のようですが、未熟な方よりもベテランの方の方が嘆く傾向にあります。立場上の問題なのかもしれません。立場が立場なので他人に愚痴は洩らせませんし、家族に頼る事すら出来ないのです。
その点、私の職業には原則的に守秘義務がありますので、何でも言える、話せる、頼りになると言う信頼関係から来たものであると私は考えています。
ある意味、私の事業所は、そう言う富裕層の隠れ家的存在でもありました。
病人相手で人間なのに寝込む事さえ出来ない医師は辛いです。!!!
話しが横道にそれたので、本来に戻しましょう。この安藤先生は後に独立して、すぐ近くの六〇木ヒルズの側で開業医として、尚の重責を抱え込んだ訳なのです。
すべての患者さんは、安藤先生を頼って病院を訪れます。
待合室はかなりのスペースを取っていますが、いつも、一杯でした。風邪を引いて、しんどくても、サラリーマンやOLと違って、病気で休む事は一切できないのです。(笑)これは、かなりの心労です。
その安藤先生が、しんどい時に私は患者を装って診察室で、ヒーリングをして上げた事が何度もあります。
安藤医師は、私の事を「先生のヒーリングは、どんな薬や点滴よりも凄い、何よりもお顔を見ただけで私は癒されるの」と言われていました。僅か10分にも満たない時間で。
腕が良い分、担がなくても良い悩みを背負い込む???
その安藤先生のお休みの時に世田谷の自宅まで、どうしても聞いて欲しいと言われた事があって、お伺いした時の話しです。
「ずっと、私の患者さんで政治家の○○先生の奥様の病状が悪化して、慶〇医大に入院して手術を受けたのだけど、経過が悪かったらしくてお亡くなりになられたんです。
あの方は、「死ぬまで先生の病院で、私の面倒を診て欲しい、他所へは行きたくない」と仰っられたんだけど、最新、最良の医療をどうしても受けて、早く良くなってお会いしたいからと嫌がる患者さんに無理矢理に勧めたのでした。が、先日、亡くなられてしまわれたんです。
「私は何故あれほど頼まれたのに、最悪な時は往診すれば良かったのに・・・」彼女の所為ではないのに泣き崩れてしまいました。
どうする事も出来ない、どうやって上げる事も出来ない深い悩み。
「私は、医師として自信を無くしてもう立ち上がれない、先生、何とかして」虚ろな目をして私にしがみ付いて来ました。
自分自身を責め虐げて、そんなにまで責任感を持たなくてもいいのにと心の奥底では、思っていても、言葉で頑張ってと励ましても安藤さんの何の助けにもならない。言葉が見つからない、虚しい・・・。
人間は、いつか死ぬ、どこかで死んで行く、これだけは誰にも決める事はできないし、避けられない。
泣き崩れる彼女をベッドに寝かせて、私は一晩中、彼女のベッドの横に座って何も言わずに、ずっと見守っていました。
いつしか、私も睡魔に襲われてベッドにもたれかかったまま眠ってしまいました。
何も言わずに見守るだけ!これこそが、啐啄(そったく)だったんですね。
翌朝「先生、そんなところで寝てたら風邪引くわよ。」と安藤さんに揺り起こされて目覚めた時に我に返った私に「「何故、こんなところで寝てたのよ。」
「私が、あなたの側にいたかったから」「・・・」暫くの沈黙の後に
「私が、処方したお薬とお水よ、先生」と言いながら、病院に行かなきゃと慌てて支度を始める彼女の後姿を見て私は、ほっと胸を撫で下ろしたのでした。
彼女の使命としての医者の尊厳を失わせたくなかった、自暴自棄になって欲しくなかった、鬱になって貰っては困る。
そんな気持ちが伝わったのかな、言葉一つ交してないのに。「ありがとう、先生。タクシー拾うから、ちゃんと帰ってね。」彼女の頬に一滴の涙が下って落ちた(了)
最後に一言
私が診察室に行っていた理由は、安藤先生が食道癌で声が出せないのが原因でした。
快活な人だったのに、大きな声が突然、蚊の鳴くような声になったからです。
去年の秋分の日の前後に、ある人から安藤先生が亡くなられたと知らされました。
私より、確か5、6才位若かっただけに、とてもショックを受けました。
私には、啐啄をしてくれる人はいませんでした。でも、このブログに書く事が出来て
ブログが私に啐啄をしてくれましたので私は何とか、お蔭様で立ち直れました。
最後まで読んで下さった、あなたに「ありがとう」と心から感謝したいです。
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あなたと又、お会いしましょう!