ネオコンサル何のために人は生きるのか、なぜ生きているのか
ネオコンサルの橘佑稀です。なぜ、人は嫌な思いをしてまでも生きるのか?何をするために生きているのだろうか?私が神に問い、その後に自らの体験した。「私が私に問うてみる」41年の長い年月をかけた、永遠の謎かけです。ついに答えが出ました。参考になれば幸いです。
私のPCの向こうにいるあなたへ どう思われますか?
私が20代の頃、東京は芝神名で置屋の女将さんをやっていた方と知り合った。その方は当時、私の大切なお友達だった彼女のお母様だった。
御年70代後半で、チャキチャキの江戸っ子だったが、ある日私にこう問いかけた。「どうして、人間って生きて行かなきゃいけないんだろう? 」 まだ若かった私は、その問いかけに戸惑った。
「なぜって、それは生きていく必要が あるからじゃ無いのですか?」「きっとね私は、死ねないから生きてんのよ」私は回答に困った。
死ねないから生きている
でも、何かを答えなきゃいけないと若いながら責任感を感じていた。思わず口から出た言葉が 「死ねないから生きているって、どう言う意味ですか?」そうしたらその方は、「自分で命を絶つ事が出来ないって事だよ」私には、ショックで返す言葉も知恵もなかった。
そして理解も出来ずに下を向いていたら、突然、その方が私の方に向いて「良かったわ、あなたに話せて」と晴れ晴れとした笑顔になっていた。私は何が何だか分からずに相手が喜んでくれたからそれで、いいかと一緒になって笑った。そして心の中で、相手が納得出来るならそれでいいと思った。
何かしなくては、いけないことがあるんじゃない?
それから二十年もの時が経ち、 40代前半に里帰りした際に今度は、私の父に同じような質問をされた。 「なんで、何のために人間は生きていくんだろうね? 」その問いに対して 私は「きっと、何かしなくては、いけないことがあるんじゃない?」 「そうか、そうなんだ」私の目の奥をじーっと見つめながら、父は深く頷いた。
そして、それから数十年後「私は、何のために生きているんだろう? 」私は、自らに 問いかける。未だに解答が見つからない、尋ねる相手も、もうこの世にいない。自らで答えを出していかなければならない。本当の答えなんてあるのかな?
自らで答えを出していかなければならない
あたりは、水を打ったように静まり返っている、少し肌寒い秋の夜長に突然に思い出した。何故か20年毎にこの質問が繰り返された中で、どうやら私が、一人の人間として問いに答えなくてはならない時が来たようだ。
永遠の謎かけ・・・神に問うた後、私が私に問う「なぜ、あなたは生きているの?」頭の中でこの言葉が繰り返される「なぜ、あなたは生きているの?」走馬燈のように、いままで生きて来た人生の思い出がよみがえる。
最後に一言
良いことも悪いこともあった人生。エンドレスで言葉が繰り返される中で、「きっと生きているんじゃなくて、生かされているんだ」と私は、理屈抜きでそう思った。頬にひとしずくの涙が流れて落ちた。了。
あなたも考えて見てくださいね。又、あなたとお会いしましょう。